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由緒・歴史

 昔は綾戸宮と國中宮の二社であったが、現在では合祀され、左に綾戸宮が、右に國中宮が鎮座されている。

御祭神 綾戸宮, 大綾津日神, 大直日神, 神直日神, 國中宮, 素盞鳴神
例祭日 五月巳日(現在では五月第二日曜)

 社伝によれば、第二十六代継体天皇の御代には大堰川(桂川)七瀬の祓神として大井社と称し第六十二代村上天皇天暦九年(965年)綾戸社に改称され、社号の額は第七十代後冷泉帝の御震筆と伝えられている。

 また、國中社は本来蔵王の杜(現光福寺蔵王堂)に社地があって中世には牛頭天皇社とも呼ばれていた。古くには久世郷全体の郷社であったと推定される。戦国時代、國中社が綾戸社の境内に移され、以来綾戸國中神社と称するようになったのである。

 社殿は昔は西向きの二社殿であったが昭和九年の室戸台風によって倒壊したため約二十米北の地に神社本来である南向きの一社殿二扉の本殿と拝所を昭和十一年秋に再建、その後拝殿、神饌所が造営され神社としての形態を整えてきた。しかし、昭和三十九年に東海道新幹線の開通のため社殿等を東に移転し現在の形態となり神宮鳥居を備えた地域の氏神として信仰を得、また後述の所以で馬関係者からも崇敬されている。

 綾戸國中神社には全国でも唯一とされる事が二つある。國中社の御神体が駒形であること。また新幹線開通のため移転を余議なくされたことである。

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