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祇園祭

 日本三大祭のひとつ祗園祭には欠かせないものとして山城國乙訓郡訓世村(現南区久世上久世町)の綾戸國中神社の「久世駒形稚児」がある。

 その昔、神代の頃素盞鳴尊が山城の地西の岡訓世の郷がまだ一面湖水の時、天から降り給い、水を切り流し、土地を開き、広々とした平野とされた。

 そして、その國の中心と思われる所に、「符」を遣わし給うた。その「符」とは尊の愛馬天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海する前に形見として遣わし給うたのである。

 この形見{符}が國中社の御神体であり訓世の郷から祗園祭に供奉する稚児が、胸に御神体である駒の頭の彫刻を棒持することから「駒形稚児」と言われる所以である。

 ところで、この「駒形稚児」と祗園祭との関係は

「國中社は素盞鳴尊の荒御魂なり。八坂郷祗園社は素盞鳴尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり。」

と古文書に記され、

「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」

とも伝えられている。

 前述の由来にて、また駒形を奉持することで稚児は神位つまり神そのものとされ、長刀鉾の稚児も下馬する八坂神社境内を南楼門より騎馬のまま参入し拝殿を三巡の後、一歩も地を踏むことなく本殿に昇殿し祭典に臨むのである。そして神幸祭、還幸祭では中御座神輿(素盞鳴尊)の先導をつとめるのである。

写真

社参(7月13日)


社参にて常盤殿を出発

社参の偽を終えて役員と記念撮影右古田左高橋

社参の偽を終えて本殿前を出発
 

神幸祭(7月17日)


古田家にて神輿祭への出発の祭典

神輿祭で八坂神社へ向けて原了郭を出発稚児は古田

神輿祭のため石段下を進行中 稚児は古田麟也

稚児は騎馬のまま八坂神社本殿前を進行

還幸祭(7月24日)


還幸祭出発に際し錦天満宮にて玉串奉典 稚児は高橋

還幸祭にて四条寺町付近 前高橋 後ろ宮司

還幸祭にて 稚児高橋昂平が胸に奉御するのが駒形の御神体
 

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